2017/01/19

安部公房 砂の女(新潮社単行本)



安部公房 砂の女
新潮社 第14刷
印刷 光邦印刷株式会社 昭和42年10月30日
製本 神田加藤製本所
装幀 香月泰男



「砂の女」はたしか、
私が読んだ初めての安部公房作品でした。
新潮文庫で読みました。
引っ越し前にその文庫は手放してしまいました。
安部公房は好きですし、
今度は単行本で出会いましたので
また手元に置いておきたくなったのです。



「砂の女」。
表題がまず色々の想像をかき立てるのですが、
これは本当に不思議なお話です。
こんな話、現実にはないだろうと思うのですが、
こんな一文から始まります。
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八月のある日、男が一人、行方不明になった。
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今、これを書きながらペラペラとページを処々繰ってみたのですが、
結構忘れているところもありますね。
砂の底に棲む女から男が逃げられない、
というお話なのですが、
安部公房の描く物語の世界はちょっと現実離れしている様で、
それでも、そこに置かれた登場人物の心情描写は極めてリアルです。
独特の世界観は読んでいて飽きるということがありません。
「箱男」も然り。段ボールの家で生活している人は何度も見ているけれど、
段ボールをかぶって歩き回っている人など見たことはありません(笑)。

2017/01/19

【読書日記】2017年1月18日~19日



大江健三郎 芽むしり仔撃ち(新潮文庫 第48刷)
186頁まで
読書番号2017-7

九章に差し掛かりました。
もう終盤です。
主人公が初めて恋ごころを抱いた村の娘は疫病で死に、
少年たちは地面に穴を掘って娘を埋めます。
弟の可愛がっていた犬が疫病の元凶とされて殴り殺され、
犬の死体は感化院の仲間に焼かれます。
少年たちはまだ発症していないものの、
自らも疫病に罹ったのではないかという恐怖に怯えます。

どういう設定で、どういう人物の
またどの様な心象を描くのか、という意味では
この小説は特異だと思います。
大江さんの何がしかの個人的体験や見聞きしたものが
ベースになっているのか、
それとも、そういうことが日本の彼方此方に
在った時代であったのか、想像もできませんが。

この小説に出てくる村人たちについては
小説「飼育」で黒人兵を監禁する村人たち、
或いは「性的人間」に出てくる耳梨湾の人々からも
同じ匂いを嗅ぐことができる様に思います。
ある種の不気味さを持った集団、とでも言いましょうか。
でも、その集団も個々に焦点を当てれば、
食べ、眠り、排泄をし、泣いて笑う普通の家族だったりするのです。
(その代表が疫病で死んだ娘とその母だったり。)
人というものがある種の集団に属したり、
信条を宿したりした時に纏う別の非人間的な側面の様なもの、
そういった恐ろしさや不気味さといったものを
大江さんの小説はあぶり出しますね。

2017/01/18

サルトル 嘔吐(人文書院サルトル全集)



サルトル 嘔吐 白井浩司 訳
人文書院 第2版
印刷 小林印刷所 昭和36年5月10日
製本 坂井製本所



この本は人文書院から発行されたサルトル全集の
第6巻という位置づけになります。

哲学者も小説を書くのですね。
私は哲学がちっとも解らないのですが、
大江さんの小説を読んだ後、解説などで少なからず
サルトルという名を目にすることになります。
以前にも書きましたが、とあるNHK番組でサルトルの「嘔吐」を
紹介しており、小説を書いている人物なのであれば
その作品を読んでみようとずっと思っていました。
そんな折、古本市でこの本を見つけたのです。

いまちょうど、大江健三郎の小説を読んでいますが、
その後、この小説を読んでみます。

2017/01/18

【読書日記】2017年1月17日~18日



大江健三郎 芽むしり仔撃ち(新潮文庫 第48刷)
94頁まで
読書番号2017-7

四章まで読みました。
感化院、という言葉はこの小説を読んで初めて知りました。
現在では児童自立支援施設と呼ぶそうです。
犯罪を犯した児童や、する恐れのある児童、
家庭環境要因により生活指導を要する児童を
入所・通所させる施設ということです。

この小説が描く時代は戦争末期ということですが、
感化院の児童が集団疎開させられるお話です。
児童たちに対する周りの大人の接し方がとにかく酷いです。
途中で脱走しようとするものがあれば半殺しにしますし、
受け入れ先の村では、死んだ(しかも腐敗している)家畜を
土の中へ埋める作業をさせられたり、
挙句の果てに、村に疫病が流行りだしたと見るや、
その感化院の児童を置き去りにして村人たちは別の村へ去ります。
しかも、児童たちが追いかけて来られない様に工作までするのです。
救い様のないお話に思えます。少なくとも今日読んだところまでは。

さて、今日は仕事帰りに松屋銀座に寄りました。
「第33回 銀座古書の市」が本日より開催されており、
ちょうど途中下車すれば気軽に寄れる処なので
行ってみたのです。本だけでなく紙モノを広く扱っていました。
でも文学作品はあまり多くない様に見受けられ、
一冊も買いませんでした。
会場の棚を一通り流し見して帰ってきました。

2017/01/17

開高健 輝ける闇(新潮社単行本)



開高健 輝ける闇
新潮社単行本 第5刷
印刷 二光印刷(株) 昭和44年5月20日 第5刷
製本 新宿加藤製本所
装幀 中本達也



開高健は少し前に「夏の闇」を新潮文庫で読みました。
今回古書で買ったのは「輝ける闇」ですが、
「夏の闇」と同じく著者が南ベトナム政府軍に従軍したときの体験が
ベースになっているそうです。
「夏の闇」を読んだ後にいずれ本作も読んでみたいと思っていたところ、
先日の古本市で偶然見つけたので買ったという訳です。
執筆時期としては本作の方が先に書かれた様です。
それにしても、安部公房の単行本もそうですが、
この頃の新潮社は「純文学書下ろし特別作品」という謳い文句が
ずいぶんお気に入りだったみたいですね。



さて、著者は釣りが大層好きだった様で、
「夏の闇」を読んだ後にそのことを知って
とても納得してしまいました。
何しろ「夏の闇」で主人公と女が舟に乗って釣りをする場面は
ちょっと調べたくらいじゃ描けないレベルなのです。

2017/01/17

【読書日記】2017年1月16日~17日



武者小路実篤 若き日の思ひ出(角川文庫 第36刷)
読了
読書番号2017-6

大江健三郎 芽むしり仔撃ち(新潮文庫 第48刷)
24頁まで
読書番号2017-7

「若き日の思ひ出」を読み終わりました。
実篤は宮津の父親の台詞を通して、
自身の人生論の様なものを語っているなと感じる小説でした。
こんなにも純粋なものに触れたのは久しぶりかもしれません。
読み終わった後は実に清々しいのですが、
ここに描かれた時代からもう少し後になると、
戦争の時代に進んでゆくのだと思います。
物語の最後があまりにも幸せに満ちていますので、
その後の時代に二人(野島と正子)がどうなったのか、
かえって気になるのです。

さて、次は大江健三郎の小説です。
「芽むしり仔撃ち」。この文庫は少し前に新本として購入しました。
大江さんの小説は今までに幾つか読んでいます。
このブログを始める少し前にも「性的人間」を読みました。
較べるのもまたおかしいのですが、
大江さんの小説はまた実篤の小説とは対照的で、
もっと人間の陰惨な部分や、
描かれる生活の中の喜びというものに於いてさえ、
どこか個人的な思惑の影を伴うものだったりする様な気がします。
私にとっては、実篤の小説は少し健康的すぎるかも知れません。

2017/01/16

島崎藤村 春を待ちつつ(アルス単行本)



島崎藤村 春を待ちつつ
アルス 第16刷
印刷者 山本榮一 大正15年11月1日 第16版
製本 奥付に記載なし
装幀 山本鼎



表紙を繰ると「春を待ちつつ」という表題の下に(感想集)とあります。
これは島村の随筆集です。
表題作の「春を待ちつつ」はこの本の一番最後に在ります。
大正14年の、これから大寒を迎えるという日に書かれた様です。
ちょうど今のこの時期ですね。



奥付です。
かつてアルスという出版社が存在した様です。
初版は大正14年3月4日、
そしてこの本は大正15年11月1日で16版とあります。
短期間でこれだけ版を重ねるということがあるのでしょうか。
印刷部数はどのくらいだったのでしょうか。



この本の初めには島村の写真が載せられています。
判りにくいかもしれませんが右の頁には
「最近の小照」と書かれており、
その下には(飯倉片町にて)とあります。



この本には見返し遊びのところに署名があります。
以前の所有者の署名でしょうか。
「1927」とありますので昭和2年です。
大正という時代が終わった翌年ですね。
当時、本は貴重だったと思います。
大切な本を所有した印として、署名をする人は
結構多かったのではないでしょうか。
私は、その様な本に対しては同じ様に
「大切にします」という意を込めて
署名をすることにしています。
私も縁あって、この本が旅する道のりの
中継点になった訳ですから。

2017/01/16

【読書日記】2017年1月16日



武者小路実篤 若き日の思ひ出(角川文庫 第36刷)
158頁まで
読書番号2017-6

こんばんは、連日寒いですね。
ここ数日この小説を読んでいる訳ですが、
武者小路実篤の文体はとても独特だと思います。
なんというか、すごく素直な感じがします。
あんまり練らない、と言ったら語弊があるのかもしれませんが、
独特の調子ですね。うまく言い表せないのですが。
それだからかもしれませんが、
主人公の野島がとても愚直で憎めない様に思えます。

実篤の描く絵と、そこに添えられた筆書きの言葉は
なんとなく小説での語り口の雰囲気を持っていると思います。

今朝読んでいて一箇所、
思わず微笑んでしまった処があります。
野島が宮津の妹(正子)に会いたくて家を訪ねたのに、
正子は家庭教師に勉強を教わっていて一向に部屋から出てきません。
野島は腹を立てて帰ると言って出てゆこうとするのですが、
その時正子が姿を表すのです。

その部分を抜粋してみます。(101頁から102頁にかけての部分)
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「今日は之で失礼します、また来ます」
「いゝぢやありませんか。お久しぶりですもの」
「僕も夕飯をつくらしてゐるので、とめたのだがどうしても帰ると言ふので」
宮津は私が帰りいいやうに助言してくれます。
「どうしてもお帰りにならなければならないの」
「そんなことはないのです」
「それならお帰りにならないでいゝのでしよ」
「えゝ、いゝのです」
私は他愛なく残ることにしました。
宮津に私の腹の底を見すかされたかも知れません。
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この変わり身の早さには可笑しくなってしまいます。
でも思春期というものはきっとこういうものかも知れません。
ほんのちょっとのことで嬉しくなったり、
または塞ぎ込んだり。
野島には共感できる処も多いのです。

2017/01/15

週末に訪れた古本市

今週末は神保町には行かず、
古本市を訪ねてみました。

1月14日(土)高円寺
西部古書会館 大均一祭
その名の通り会場の本が全部均一という、
均一好きの私にとってはとても楽しい古本市でした。
こちらは年に3回、恒例で行われている市とのこと。
初日は一冊200円、そして二日目はなんと一冊100円という
なんとも嬉しいかぎりです。
初日だけ訪れまして、結局7冊も買ってしまいました。
その中には、ジャック・ロンドンの「白い牙」や、
サルトルの「嘔吐」も含まれます。
「白い牙」は先日読書日記で書いた「荒野の呼び声」の
姉妹作ですね。
「嘔吐」も先日の記事で少し触れたのですが、
あの後、新刊で買おうかどうか迷っていました。
新刊で買うと結構お値段しますので
この均一祭で見つけられて良かったです。

1月15日(日)新宿サブナード
第29回 古本浪漫洲Part1
こちらは残念ながら私の興味を惹く本がありませんでした。
一冊も買わずに帰ってきました。
ちょっと市の規模も小さくて物足りなかったという印象があります。
結局、回転寿司を食べに新宿に行ったようなものでした(笑)

高円寺は次回もまた訪れたいですね。

2017/01/15

【読書日記】2017年1月14日~15日



村上春樹 意味がなければスイングはない(文春文庫 初版)
122頁まで
読書番号2017-5

武者小路実篤 若き日の思ひ出(角川文庫 第36刷)
90頁まで
読書番号2017-6

私はお酒を飲みながら本を読むことがあります。
そういうときに読むのはだいたいエッセイです。
エッセイというのは一章ごとに話題が完結していますので
お酒が入っている時でも読みやすいですし、
次に読むまでに間が空いても大丈夫です。
お酒を飲むとき用にエッセイを買う、
といってもいいくらいです。

村上春樹ですが彼の小説が好きで、
とくに「ノルウェイの森」は何度読んだかわからないくらいです。
いちばん最初は20年くらい前に文庫で読み、何度目かの引越しで手放し、
もう一度読みたくなってまた文庫を買い、
そして前回の引越しでまた手放してしましました。
今は手元にありませんが、また読みたくなってきています。
いったい同じ本を何度買い直すのでしょうか(笑)

最近、部屋でお酒を飲むときのお供が
この「意味がなければスイングはない」です。
これは以前、新本として買いました。音楽についてのエッセイ集です。
著者はもともとジャズが好きで小説家になる前はお店もやっていた
くらいですのでとても詳しいのですが、
私の知らない音楽家や曲について書いてある文章でも
読んでいて愉しいと思うのは、
専門的なことだけでなく、音楽家たちの人となりを興味深く
書いていてくれているからだと思います。

そんなわけで、また来週末あたり、
飲みながら続きの頁を繰ります。