2017/03/31

【読書日記】大江健三郎 みずから我が涙をぬぐいたまう日



2017-17
大江健三郎 みずから我が涙をぬぐいたまう日(講談社版 初版)
42頁まで

昨日から読み始める。
大江さんの作品は幾つか読んでいるけれど、
この作品は難解だと思う。
天皇、国体、戦争。
これらについて、
自分なりの思う処を持っていないと、
何の化学的作用も無いかもしれない。


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2017/03/30

【読書日記】川端康成 みづうみ



2017-16
川端康成 みづうみ(新潮社版 第4刷)
読了

読み終わりました。
感覚的小説だった、という思いを抱いています。
私はどちらかというと筋を追う様な作品よりも、
その物語や主人公が醸し出す特有の感覚とか概念、
空気感の様なものを追っている作品が好きです。
この小説はそういう作品だと思います。

すこし間をあけて、
この作品が漂わせているものの中に
もういちど身を委ねてみたくなるような。


2017/03/28

【雑記】物として残るということ



私は今の部屋に引っ越す前、
持っていた本のほとんどを手放してしまいました。
量が多かったので車で引き取りに来てもらって、
それで買い取って貰ったのです。

そのときはそれですっきりした気分でしたが、
あとで本を売り払ってしまったことを
すこし寂しく思いました。
余分な物は持たない方がいいと思う反面、
文学作品の本だけは棚にずっと並んでいても良いと、
そんな考えになりました。

今の生活では、
実用的な本や漫画については電子書籍で読み、
文学作品については「本」という体裁で
本棚に残しておくことにしています。

読み終わり、記憶の片隅で
どんどん小さくなってゆく作品も、
本として棚に並んでいれば生活の中で
視界には入っているのだから、
自分のなかでいつまでも消えずに
引っかかるものであり続ける。
そんなことを、とある古書店のかたが
仰っておられるのを聞きました。
私もその考えには共感できるのです。


2017/03/27

【蔵書より】井伏鱒二 黒い雨(新潮社版)



井伏鱒二 黒い雨
新潮社版 単行本 第2刷
印刷 塚田印刷(株) 昭和41年11月5日 第2刷
製本 神田加藤製本所
装画 塩出英雄







この作品は以前、文庫で読んだことがあります。
その本は引っ越しの際に手放してしまったので、
こんどは単行本で再読しようと思い買いました。


2017/03/26

【読書日記】川端康成 みづうみ



2017-16
川端康成 みづうみ(新潮社版 第4刷)
90頁まで

以前買っておいた「みづうみ」を読み始めています。
川端さんの小説を読んでいると、
いつも独特の風景に囲まれている様な気分になります。
その景色は決して輪郭線がはっきりとはしている様なものでなく、
色彩であるとか、空気感であるとか、微かの香り様な、
そういうものを感覚します。

トルコ風呂で湯女に身体をさすってもらい、
今日までの日々に桃井銀平は想いを馳せます。
靄のかかった浴室と、女の湿った髪や肌の色、
幻想的な印象のなかで物語が始まってゆきます。


2017/03/26

【読書日記】谷崎潤一郎 鍵



2017-15
谷崎潤一郎 鍵(中央公論社版 初版)
読了

「鍵」を読み終わりました。
夫は妻を満足させるための無理が祟って
体調を崩し亡くなってしまうのですが、
結局のところ、
それは妻が密かに望んでいたことでもあり、
むしろ夫に無理をさせることで
そうなるように仕向けたのだと、
日記の最後に告白しています。
それでも、夫の欲求を満たすことに貢献したのだから、
夫にとっても幸せな時間であっただろうと考えている様です。

日記というものはふつう、
後から自分を振り返るために書くものですが、
この夫婦はお互いに
相手に盗み見されることを想定して日記を書いています。
面と向かっては相手に言わないけれども、
ああしてほしい、こうであってほしいと遠回しに伝える訳です。
どこか奥ゆかしさの様なものを感じないでもありません。
綴られている内容には嘘も含まれており、
日記を読んできた読者も最後にそのことを知らされます。

この小説は偏った性的偏愛のみを描いた物語ではなく、
人間同士の微妙な駆け引きの心理も描かれていて魅力的です。
また、読者に伝えるための手法にも凝っていて、
あっという間に読み終わってしまいました。


2017/03/21

【読書日記】谷崎潤一郎 鍵



2017-15
谷崎潤一郎 鍵(中央公論社版 初版)
114頁まで

谷崎潤一郎の「鍵」です。
ちょっとすごい作品ですね。
いや、すごいというのは読む前から何となく、
分かってはいたのです。
でも、想像以上でした。

夫の性的嗜好が異常です。
妻を酔わせ、気を失ったところを裸にして
あちこち観察した上に写真にまで撮る、
そして、そのフィルムの現像を頼んだ相手は
木村という、自分の娘に引き合わせようとした男で、
その男に妻の裸の写真を見せることで欲情をそそるのです。
どうしてわざわざ、そんなことをするのかというと、
自分の妻が他の男から犯されるかもしれないという状況を
作り上げることで、夫は性的興奮を覚えるからなのです。

しかも、著者が用意周到だと思うのは、
この小説の語り口です。
この物語は夫と妻の日記を交互に読むことで
話が進んでゆきます。
読者は他人の日記を覗き見する様な感覚に陥り、
恥辱に満ちた夫婦関係を覗き見している私たち自身も
どこか恥ずかしい様な後ろめたさを感じる様になっているのです。

視覚的な効果も考えられています。
夫の日記は漢字以外の部分をカタカナで表記してあり、
どことなく不気味な印象を抱かせます。
妻の日記はひらがなで優しい語り口なのですが、
この妻は夫よりもむしろ淫欲が深く、
その優しい語り口で、
夫への性的不満足を書き連ねるのです。


2017/03/20

【読書日記】坂口安吾 白痴



2017-14
坂口安吾 白痴(中央公論社版 初版)
読了

表題作の「白痴」が読みたくてこの本を買った訳ですが、
先日も書いた「外套と靑空」がとても印象に残っています。
暗く湿った日々を描く中での最後の部分、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
暗闇を這いずるやうな低い情痴と心の高まる何物もない女への否定が溢れ、
その暗闇を逃れでた爽かさが大気にみちて感じられた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こういう感覚は私も分かる気がします。
とくに思春期の頃。何か暗く、けれども抗えないものを感じ、
そこに身を浸すことを夢想する時間。そういったものから抜け出て、
現実の白昼へ玄関から飛び出した時の様な、
そんな感じを抱きます。

表題作「白痴」にも、終わりの方に印象に残る部分があります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
女の眠りこけてゐるうちに女を置いて立去りたいとも思つたが、
それすらも面倒くさくなつてゐた。人が物を捨てるには、たとへば紙屑を
捨てるにも、捨てるだけの張合ひと潔癖ぐらゐはあるだらう。
この女を捨てる張合ひも潔癖も失はれてゐるだけだ。
微塵の愛情もなかつたし、未練もなかつたが、捨てるだけの張合ひもなかつた。
生きるための、明日の希望がないからだつた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この女というのは主人公にとって肉欲を満たすものであったはずなのに、
もう、捨てるのも面倒な存在になってしまっています。
今しがた、一緒に空襲の大火の中を逃げてきたというのに。

ここでもやはり(白痴の女という)情痴に終止符を打つ訳ですが、
「外套と青空」の様な、そこから抜け出た開放感の様なものはもはや無く、
希望のない終わり方です。


2017/03/19

【古書検印集】永井荷風 勳章(扶桑書房版 初版)



永井荷風 勳章(扶桑書房版 初版)
奥付より



残念ながら朱が薄く、判読が難しくなっています。
「永井荷風」という部分、それと末尾の「之章」だけが
微かに読み取れます。


2017/03/18

斎藤茂吉 自選歌集 朝の螢(改造社版)



斎藤茂吉 自選歌集 朝の螢
改造社版 新装版初版
印刷 凸版印刷 昭和21年10月30日
配給元 日本出版配給(株)
装幀 石井鶴三





ところどころに書き込みがあります。
前の所有者の方はずいぶんと、歌に熱心な方の様です。



「朝の螢」は茂吉にとって最初の自選歌集とのことです。
表題は自身の歌の一節から採ったのだと、
茂吉自身がこの本の巻末で書いています。

「草づたう朝の螢よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ」

巻末にはこんなことも書いてあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
けれども、歌集「朝の螢」は私のこころの悲しく痛ましき時に作り得たものである。
縁ありて、この歌集を読む友よ、ねがはくは如是のゆゑよしを忘れたまふな。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何があったのでしょうか。
斎藤茂吉記念館のホームページによると、
「朝の螢」は大正14年4月20日に発刊と記されています。
年譜でわかることは、養父の経営する青山脳病院が
この自選歌集が世に出るすこし前に全焼するという出来事があったということです。
そのことが関係しているのでしょうか、
ひとの心の内のことですから分かりません。

ところで、私の本棚にある「朝の螢」は新装版です。
この新装版に寄せて、茂吉は最後のページに
こんな後記を残しています。
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本書は戰爭中しばらく出版を中止してをりましたが、いよいよ平和となり、
新時代に入りましたので玆に新裝して二たび出版することとなりました。
どうぞまた續々お讀みくださることをお願いたします。
私は戰爭末期に山形縣に免れまゐりまして、上ノ山、金瓶、大石田と移り住み、
目下大石田に居ります。

昭和二十一年八月 斎藤茂吉
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