2017/02/02

【読書日記】2017年2月1日



2017-9
カミュ 異邦人(新潮文庫 第57刷)
読了

先日ここで、ムルソーのことを、
魂の宿っていない、もぬけの殻の様な人と書きましたが、
そのあとよく考えてみたら、
そういう人物を一人称で描くということには
すこし矛盾がある様な気もしました。
ほんとうに殻の様な人など居るのでしょうか。

彼はマリイに女性としての魅力を見出していましたし、
死刑が決まって執行を待つ日々の夜明けが怖いとも
言っています。彼はやはり人間でした。
そして美しさを見る目もちゃんと持っていました。
こんな一節があります。(104頁より)

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裁判所を出て、車に乗るとき、ほんの一瞬、
私は夏の夕べのかおりと色とを感じた。
護送車の薄闇のなかで、私の愛する一つの街の、
また、時折り私が楽しんだひとときの、
ありとある親しい物音を、まるで自分の疲労の底から
わき出してくるように、一つ一つ味わった。
すでにやわらいだ大気のなかの、新聞売りの叫び。
辻公園のなかの最後の鳥たち。サンドイッチ売りの叫び声。
街の高みの曲がり角での、電車のきしみ。
港の上に夜がおりる前の、あの空のざわめき。
ー こうしてすべてが、私のために、盲人の道案内のような
ものを、つくりなしていた。
ー それは刑務所に入る以前、私のよく知っていたものだった。
そうだ、ずっと久しい以前、私が楽しく思ったのは、
このひとときだった。
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これを読むと、彼が殺人を犯してしまったということが、
とても残念に思えるのです。
人は遠ざかったものに、美しさを見出す生き物なのかも知れません。

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